自性院について


自性院は、以前旧塩崎村山本坊沢百坊の中にあり、
真言宗のお寺で慈勝院と称したと伝えられていましたが、
二度の水害にあった為現在地に移し、

新たに曹洞宗のお寺として
元亀元年(1570年)9月19日に関刹界翁禅師が開山されました。
二世一翁全刹禅師が「證道歌」の一句「本源自性天真仏」により、天真山自性院と改められています。
当山の本尊様は木座像御丈七寸余りで弘法大師の作と伝えられています。

本堂は明和2年(1765年)当山六富山智雄和尚の時代に建てられたものですが、創建当時の本堂の改築再建で間口九間奥行七間平屋建てで茅葺でしたが、昭和29年、昭和46年、昭和54年、及び平成23年本堂耐震工事等、檀信徒の協力により大改修をし、今日に至っています。

享保元年(1716年)四世教山祖外和尚代に建てられた庫裏、天保7年(1836年)八世鶴巣仲天和尚代に建てられた惣門、土蔵は天保初年庫裏の東側に間口四間奥行二間の茅葺であったが昭和39年9月の伊勢湾台風の際倒壊してしまいました。


不慮の災害を防止する為に消火貯水槽を昭和38年3月に設置しました。また、境内を囲む外堀も篤志によって昭和41年3月に築造され、半学の碑、考婦満津の碑も境内に移築し、その湮滅を防ぎ、昭和42年11月下今井区が建立した「戦病歿慰霊碑」と併せて過ぎし昔を物語るが如く、庭園の美の荘厳さを如実に現わしております。
裏庭の樹齢約三百年の名木カギ松は平成10年1月15日の大雪の為倒木してしまいました。


開山440年記念としてつつじ庭園を平成22年に築庭しました。
古くは黒卬参百二十二坪を有していましたが、明治維新によって上地となりました。


これらの建物も今日に至るまで歴代の住職がそれぞれの時代の檀信徒の皆様の協力を得て、時宣を得て補修し貴重な文化財として、また地域における宗教の殿堂として今日に至っています。
さらに下今井地区の林泉院を現住職聡明尚代の昭和47年(1972年)10月8日に合併し進展する時代の要請に応じ墓地造成、境内外とも整備し甲斐市下今井地区の信仰の中心として栄え、とかく物資依存傾向のまさる現在の流れにおいて地域精神文化向上の一端を担い、今后永く法灯の火を絶さず仏教の一大センターとしての尊い使命を果たしています。

 

 自性院 歴代禅師


   開山
       開刹界翁和尚
   二世       一翁全刹和尚
   三世       心外覚全和尚
   四世       教山祖外和尚
   五世       輪山大転和尚
   六世       富山智雄和尚
   七世       天亮愚覚和尚
   八世       鶴巣沖天和尚
   九世       泰山虎雄和尚
   十世       大運保宗和尚
   十一世      一山活牛和尚
   十二世      堤一道綱和尚
   十三世      舜孝正義和尚

   現 十四世    大鑑聡明和尚
 

 

あなたの心にやすらぎを
曹洞宗 天真山 自性院  山梨県甲斐市下今井2339